皆さんは田園調布をご存知でしょうか。東京都大田区にある、東急東横線沿線の住宅街であり、有数の高級住宅街でもあります。
では、田園調布の「田園」とは何なのでしょうか。
それは「田園都市論」というものから取られているのです。
今回はそんな田園都市論がどのようなものなのか、どのような経緯で田園調布が形成されたのか、私自身の訪問記と合わせて、簡単にですがご紹介します!
①ハワードの田園都市論
そもそも、田園都市論を最初に提唱したのはイギリスのエベネザー=ハワードという人物。彼は近代都市計画の祖とも呼ばれる人物です。彼は『明日の田園都市』という著書の中で田園都市構造について記しています。
彼の田園都市構想は、大都市の郊外に職住近接の、人口数万人程度の都市を作るというものでした。住宅は森林や公園、農地で囲まれているものです。
ここで大事なのは、ハワードが提唱した田園都市とは、田園都市自体が自立したものだったことです。職住近接であり、農地により自給自足が可能な都市が彼の唱える田園都市でした。
この構想は、批判はありながらも、大きな影響をもたらし、ロンドン郊外の第一田園都市レッチワースや、第二田園都市ウェリンが作られました。
②日本での田園都市論
田園都市論は日本にも影響を与えました。
かの有名な実業家、渋沢栄一は、日本にも田園都市を作るべく、田園都市株式会社を設立します。
この会社が現在の東急電鉄の前身会社の一つです。
こうして田園都市を日本に作るため、その参考として、渋沢栄一の息子、渋沢秀雄は欧米諸国を訪問しました。
ですが、その際に渋沢秀雄は、ハワードの構想の具現である前述の第一田園都市レッチワースにさほど魅力を感じず、サンフランシスコ郊外の全く別の高級住宅地に感銘を受けました。
そのため、日本にできた田園都市、田園調布は、ハワードの構想の具現であるレッチワースをあまり参考にしていないため、ハワードの構想を完全に継承しているとは言えないわけです。
事実、ハワードの田園都市構想は自立、自給自足とありましたが、田園調布はそこに重きを置いていません。(そもそも自立、自給自足自体実現は困難だったでしょうが。)
田園調布はハワードの田園都市論から名前が由来していますが、詳しく追ってみると、ハワードの田園都市の構想を完璧に反映したものではないのです。
田園調布は田園都市論に由来しながらも、渋沢栄一らによって独自の発展を遂げたと言えるでしょう。
③田園調布の特徴
田園都市構想と経緯の説明が長くなってしまいましたが、ここからは、私が実際に訪れた際の画像とともに、田園調布の特徴を紹介します。
まずはこちらが田園調布駅です。
周辺を散策していきます。
田園調布の特徴は放射線状と半円状の道路網です。
下の地図の西側からわかるように、田園調布駅を中心として放射線状と半円状の道路が敷かれています。
(画像はGoogle マップより引用)
このように道路を設けることで、街全体を庭園のようにしたのです。
↓田園調布駅前の様子。ここが放射状道路の中心点です。
↓放射線状の道路沿いにはイチョウの木が植えられ、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
↓半円のエトワール型道路。名前の由来はパリの凱旋門周辺道路から。
日本の道路は、古来、碁盤の目のように張り巡らされていたのが一般的でした。
田園調布のような、放射状と半円状の道路は日本では珍しく、それゆえに魅力的であるように思えます。
また、私自身が訪れてみて思ったことは、街全体がとても 静かということです。
休日の昼間に訪れたのですが、駅前は人々で賑わっていましたが、住宅地に入ると、車の音もほとんどせず閑静でした。
これは、近くに交通量の多い幹線道路がないため、地域住民の車しか通らないということなのでしょう。(通過交通が少ないということ。)
これも放射状と半円状の道路網のおかげでもあると言えるでしょう。
最後に
以上、とても簡単にではありますが、田園都市、田園調布について紹介させてもらいました。
イギリス発祥の田園都市論と、渋沢栄一らによる田園調布、少しでも理解していただければ幸いです。
また、私自身、実際に訪れてみて、独特な道路網を持つ田園調布に魅力を感じました。
それでは今回の記事はここまでです。ご覧頂きありがとうございました!